坂狩トモタカ〜ライフスタイルプレゼンターとしての矜持 VOL.1〜 | style-lab
坂狩トモタカ。美容室AnZie代表にして、一般誌や業界誌、年間50本以上のデザインセミナーの傍、多数のコンテストでトップデザイナーとして入賞を果たしている。業界の最前線を走り続ける坂狩の原動力は一体何か?これまでの人生を振り返りながら、その秘密に迫る。(敬称略) 勉強を諦めた学生時代 福岡県で生まれ育った坂狩。学生時代はちゃんと勉強する真面目なタイプだった。 「中学校まではずっとサッカーをしていました。小学校の時はサッカーで県選抜に選ばれたりしていたのですが、中学校になると友達と遊ぶのが楽しかったりして、あまり熱が入りませんでしたね。身長もあまり高くなくて、中学校に入学した時は140センチなかったと思います。中学時代からもともと勉強できるタイプではなかったと思うのですが、勉強したのにテストの結果が悪いと悔しいからさらに一生懸命勉強していましたね」 目の前に壁が立ちはだかったときのほうが燃えるようだ。 努力が実り、坂狩は福岡にある進学校に入学した。 「結局、高校に行っても中学と同じようなことが起きました。この上なく勉強したのに、テストの結果が悪いみたいな・・・。その時に、「俺は勉強が向いていないな」と思いましたね(笑)」 ずっと続けてきたサッカーだが、徐々に熱も冷めていった。 中学までは楽しくサッカーできたのですが、高校サッカーは筋トレさせられたりとあまり面白くなくなってきて、アルバイトばかりしていましたね。土日は練習試合とか全然行かなくて先輩に怒られたりして。結局途中でやめてしましました」 美容師という職業との出会い アルバイトの比重が増えて行く中で、現在の職業に結びつくアルバイトに出会う。 「アルバイトは、お小遣いというか、バイクの免許が欲しかったから始めました。一番最初は床屋でバイトしましたが、死ぬほど辛くて三ヶ月くらいでやめました。その後も、色々なアルバイトを経験しました」 高校2年の途中から始めた美容室でのアルバイトが、その後の人生を左右する。 「中学校時代のサッカー部の先輩が美容師になっていて、その先輩が働いている美容室に髪を切りに行ったら、「今人少ないからバイトすればいいじゃん」と声をかけてもらい、そのお店でバイトすることになりました。その時に、美容師は面白いなと思いました。 当時高校生だったにも関わらず、扱いはまるで一社会人だったようだ。
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