ちょっと恥ずかしい昔話から今までを取材していただきました 坂狩トモタカ

高校生の時の自分。。
今あったら説教やな。。
そんな事から 15年経った今 感じている事。
そしてこれから。

三週にわたって 掲載してもらった記事まとめ。

坂狩トモタカ〜ライフスタイルプレゼンターとしての矜持 VOL.1〜 | style-lab

坂狩トモタカ。美容室AnZie代表にして、一般誌や業界誌、年間50本以上のデザインセミナーの傍、多数のコンテストでトップデザイナーとして入賞を果たしている。業界の最前線を走り続ける坂狩の原動力は一体何か?これまでの人生を振り返りながら、その秘密に迫る。(敬称略) 勉強を諦めた学生時代 福岡県で生まれ育った坂狩。学生時代はちゃんと勉強する真面目なタイプだった。 「中学校まではずっとサッカーをしていました。小学校の時はサッカーで県選抜に選ばれたりしていたのですが、中学校になると友達と遊ぶのが楽しかったりして、あまり熱が入りませんでしたね。身長もあまり高くなくて、中学校に入学した時は140センチなかったと思います。中学時代からもともと勉強できるタイプではなかったと思うのですが、勉強したのにテストの結果が悪いと悔しいからさらに一生懸命勉強していましたね」 目の前に壁が立ちはだかったときのほうが燃えるようだ。 努力が実り、坂狩は福岡にある進学校に入学した。 「結局、高校に行っても中学と同じようなことが起きました。この上なく勉強したのに、テストの結果が悪いみたいな・・・。その時に、「俺は勉強が向いていないな」と思いましたね(笑)」 ずっと続けてきたサッカーだが、徐々に熱も冷めていった。 中学までは楽しくサッカーできたのですが、高校サッカーは筋トレさせられたりとあまり面白くなくなってきて、アルバイトばかりしていましたね。土日は練習試合とか全然行かなくて先輩に怒られたりして。結局途中でやめてしましました」 美容師という職業との出会い アルバイトの比重が増えて行く中で、現在の職業に結びつくアルバイトに出会う。 「アルバイトは、お小遣いというか、バイクの免許が欲しかったから始めました。一番最初は床屋でバイトしましたが、死ぬほど辛くて三ヶ月くらいでやめました。その後も、色々なアルバイトを経験しました」 高校2年の途中から始めた美容室でのアルバイトが、その後の人生を左右する。 「中学校時代のサッカー部の先輩が美容師になっていて、その先輩が働いている美容室に髪を切りに行ったら、「今人少ないからバイトすればいいじゃん」と声をかけてもらい、そのお店でバイトすることになりました。その時に、美容師は面白いなと思いました。 当時高校生だったにも関わらず、扱いはまるで一社会人だったようだ。

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坂狩トモタカ〜ライフスタイルプレゼンターとしての矜持 VOL.2〜 | style-lab

坂狩トモタカ。美容室AnZie代表にして、一般誌や業界誌、年間50本以上のデザインセミナーの傍、多数のコンテストでトップデザイナーとして入賞を果たしている。業界の最前線を走り続ける坂狩の原動力は一体何か?これまでの人生を振り返りながら、その秘密に迫る。(敬称略) 高校卒業した翌日に上京 自分の仕事には飽きたくない。その思いで美容師になることを決めた坂狩。ついに、東京で美容師になるための新生活がスタートした。 「最初は、アルバイトしていた美容室にそのまま就職しようと思っていたのです。そしたら、親にものすごく反対されまして・・・。そして、「本当に美容師になるなら東京に行かなくてはダメなのではないか?」と親に言われて、「えっ、東京行けるの?ラッキー」というような感じでした」 東京の美容専門学校行くことを決めた坂狩。学校選びの基準は「東京」と言う名前が付くか否かという独特なものだった。 「特に学校を選ぶ基準とかこだわりはなかったのですが、はじめは東京美容専門学校を受けました。「東京」と名が付くので、同級生に東京に行くと認識されてチヤホヤされるな?と思って。しかし、そこは落ちてしまいまして・・・(笑)。それで、どうしようかなと思っていた時に、祖母が熊本で資生堂のチェーン店を経営していてゆかりがあったので、資生堂美容学校に決めました」 資生堂美容技術専門学校に入学 無事に資生堂美容技術専門学校に合格し、晴れて東京で学生生活が始まった。 「高校卒業した翌日に東京に出てきました。専門学校に行ったらアルバイトできないという噂を聞いていたので、引っ越し屋さんでアルバイトをしていました。東京に来てから3日後には、アルバイトを始めていました。多分、自分はアルバイトすることが好きなんだと思います」 資生堂美容技術専門学校に入学してからは、自分が描いていた理想と現実のギャップに直面する。 「自分は高校時代に1年半くらい美容室でアルバイトをしていたので、サロンワーク力には自信がありました。しかし、当然ですが美容学校ではサロンワークとか関係ないんですよね。どちらかというと、オシャレだったりセンスが良い学生がチヤホヤされるんです」 結局、美容室でのアルバイトで培ったサロンワーク力は発揮できなかったが、得るものはあった。

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坂狩トモタカ〜ライフスタイルプレゼンターとしての矜持 VOL.3〜 | style-lab

坂狩トモタカ。美容室AnZie代表にして、一般誌や業界誌、年間50本以上のデザインセミナーの傍、多数のコンテストでトップデザイナーとして入賞を果たしている。業界の最前線を走り続ける坂狩の原動力は一体何か?これまでの人生を振り返りながら、その秘密に迫る。(敬称略) 代官山の美容室 資生堂美容技術専門学校を卒業した坂狩は、代官山の美容室に入社した。 「専門学校の1年生だった時にヘアショーのモデルをやらせてもらったのですが、そこでの縁で代官山のヘアサロンに入社しました。僕の中では幾つもサロンを受けるのは義理人情的にどうなの?という感覚がありまして・・。受けたサロン全てで「一番行きたいです」と言うわけですよね。それが嘘っぽいので、その代官山のサロンしか受けませんでした。 その代官山の美容室では5年間働いた。 「美容師になった瞬間に「ものすごい楽だな」と思ったのです。というのも、美容学生時代は学校に行って授業を受け、アルバイトをして・・・と、多くのことをやらなくてはなりませんでした。しかし、美容師になるということは、それだけ努力すればお金をもらえるわけですよね。24時間の使い方として、全ての時間を美容に使えると言うのはすごく楽だなと思いましたね」 そこからは、寝ても覚めても美容の仕事に熱中した。仕事が終わり、帰宅途中に他のサロンの明かりがついていると、また戻って自分も練習をした。 「1年目にできる最高のことは何かを考えて、それは努力の時間だと思いました。自分は表参道とかのスターサロンに就職しないで、一度逃げているので・・・。努力では負けられないという気持ちは持っていました。一番最初にサロンに来て、一番最後に帰るというのは当たり前でしたね」 5年前のリベンジ 努力の甲斐あり、3年3ヶ月でスタイリストデビューを果たした。また、1年目の途中からはサロン外の評価を求めて、様々な外部コンテストに参加し始めた。 「なけなしのお金で1眼レフを買い、投稿できる全てのコンテストに片っ端から投稿しましたね。すると、1年目の途中から掲載され始めました。当時はフィルムのカメラでしたので、現像代とかすごくかかりましたね(笑)」 5年間働いた後、坂狩はNEWS HOTELに移った。

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見えてきたもの 感じた事。
そしてこれから 挑戦したい事。

1つ1つの経験に意味をつけていくのは
これからの未来の自分次第なんじゃないかなと。

毎日が冒険。全力で妥協なく。

ブレない信念で。

坂狩トモタカ

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